今日の日記

2002年3月30日
 今日も電車に乗って、大学に行った。あんなに憂鬱だった電車通学も、今は外出できる喜びの方が大きい。
 にしても今日は天気が良かったので、帰りに散歩をすることにした。最寄り駅からてくてく歩いて、途中のコンビニで昼食を購入。食べながら土手に向かい、土手をさらに歩いた。まあ、距離的にはたいしたことなかったが、引き込もりのボクにはちょうどいい運動。何年かぶりに歩いた土手は、金八の新川土手みたく綺麗でないし、白人の女の人が走ってたりもしないが、天気の良い河原でのんびり過ごしていると、ここに来なかった今までの時間はなんだか変だったと感じた。何か忙しいことが良くて、暇がないと思い込んでた。そんなこと考えながら、少しだけのんびりした。腰が痛くなかったら、寝転んで寝ちゃえたかも知れないが、実はコンクリートで寝転ぶのは少し痛かったのだ。
 雰囲気に飲まれて、持っていたキャラメルコーンで鳥を集めようとしたが、鳥には気付いてもらえなかった。家に帰ると、いつの間にか妹が食べていた。
まあ、いいか。

今日の日記

2002年3月29日
 雨の中、買い物ついでに歩いていると、自宅から電話があった。父親が江坂に行きたいが、車で行って電車で帰りたいので、帰りだけ初心者の妹に運転させると言う。で、心配なので横に乗れと言う。ボク自身は未だ運転はドクターストップ。まあ、「一応やめときましょうか。」なので、いざとなれば全然大丈夫なのだが。江坂までの道のりは、内環状線を走るのだが、雨の夜の内環を妹の運転で走るなど、危険きわまりない!で、ボクも横に乗ることになった。
 案の定、道は混んでいて危険運転多発。妹のとろとろ運転では回避できないことだらけ。だから帰りは極力交通量の少ない道に逃げて走った。にしても、合流が出来ないようじゃ一人で乗るにはまだまだだ。
 で、自分のコトを思い出した。偉そうに言いながら、自分も最初は全然へたっぴだった。
親に黙って家の車で初めての一人ドライブを決行した日、あれよあれよと高速乗り口に流れ込み、仕方なく高速に乗り、一区間で降りたらすぐだろうとおもいきや完全停滞。しかも降りたら道が分からず、行き着いたのはJR大阪駅前だった。大きな道と交通量に圧倒され、しかも違法駐車のおかげで左折レーンに入れず、同じ道を何度かチャレンジしてやっと帰って来た記憶がある。やはり運転は練習あるのみだ。最近周りで免許の話をよく聞く。そして、そのたびに「早く運転した〜い!」と思うのである。今日は唯一、車庫入れだけ交代した。

今日の日記

2002年3月28日
 やっと軟禁生活の2週間が経ち、整形外科の診察の日。 病院は11時半予約だった。11時25分に滑り込んだ。 診察を待つこと2時間。診てもらえたのは13時半だった。 聞けば、今日で担当の先生は移動になるらしい。 で、かかりつけの患者が集まって、えらい混雑だったとか。 診察結果は、あとは徐々に普通の生活に戻しましょう。 ってことだった。痛くない範囲なら何をしてもいいと。 ただし、バイクや車など他人を傷つける可能性のあるものはダメ。 1ヵ月後の診断結果を待つことになった。 ホッと一息だが、バイト復帰など、完治はまだまだだな

今日の日記

2002年3月27日
 成績発表で大学に行ってきた。 思えば、骨折以来、2度の病院(とあと、レンタルビデオに1回だけ。) 以外外出しなかったボクだが、今日、やっと外出らしい外出をした。 久しぶりに乗る電車。去年はほとんどバイク通学だったので、 まともに電車通学するのはかなり久しぶり。 電車の中でうろうろ見回すと…みんななんという顔をしてるのか、 まるで死顔。学生もサラリーマンもおばちゃんも。 またこういう日々が帰ってきた!
 さて、成績は予想通り。公表は避けるが。 何年通うことやら…。

今日の日記

2002年3月26日
 チャットをしようと頑張っているんだが、なかなか上手くいかない。ICQやらIRCやら「みんなのチャット♪」も、MacとWinでは無理だったり、無線LANだと無理だったり。チャットしたい相手が無線LANなのだ。ケーブル回線もいい加減なもんだ。でも、一般無料チャットだと他人が入ってきたり、自動更新じゃなかったりと、理想のモノにはなかなか行き着かない。どなたか「自由にできる個人的簡単チャット」を指南していただけないだろうか?

今日の日記

2002年3月25日
 映画「A.I.」を観た。映画館では観なかった。いや、観られなかった。感想を言うなれば、「面白いけど納得できないね。」だろうか。画像は凄い。ホントにロボットが進歩しまくったらあんな感じになるんだろうか?「トータルリコール」を観たときぐらい考えた。しかし納得いかないのは、はじめの方は未来像というか、なんでこれができてこれが出来ないんだ!?ってなところが多すぎて。そのうちストーリー的に、「そりゃないよ。」って気持ちになってきて、何よりも2000年経っても、ヘリの中は少し汚れただけだったり。2000年前っていったら、キリストさんの時代でしょ!?なんで服も何もかも残ってるんだ!?凍ってたじゃ済まされなくないか?さらにいうなれば、ラストに出てくる変なのはなんだ!?
そして、最後はどうなったんだ!?
 技術の進歩には恐れ入ったが、腑に落ちない映画だった。でも、観といて良かった。変なカンジ。

今日の日記

2002年3月24日
 昨日の続きで、写真を片付けた。今までそんなことはしたことがないが、いらないと思う写真はすべてシュレッダーにかけた。手回しのシュレッダーはかなりの重労働だった。小学校に入った頃から、ボクは変わったようだ。写真を見ても、その頃の情景や様子は思い出せても、自分の精神的なものや思考はほとんど思い出せない。
 置いておくと決めた写真を、誰に見せようかと考えた。誰に見せたいか。話したい人は限られた。誰にでも見せていろいろ話ができるのはもう少し先になりそうだ。
 話し変わって、昨日今日と本科19期の卒業旅行があったそうだ。そのお誘いを、実は受けていた。I田マットが何度も電話をくれていたその時、ボクは岐阜県の某病因のベッドの中だった。行きたかったな〜。卓球したかったな〜。なちゅと遊びたかったな〜。飲んで語りたかったな〜。これも自業自得か!?

今日の日記

2002年3月23日
 部屋を片付けた。妹に手伝ってもらった。
何もかも片付けたくなる。自分の空間が広くなったら、なんとなく目線が上がったような気になった。本当なら、机の横にパソコン用の棚と、倉庫のバラ釘に釘箱を作りたいのだが。
中学時代のバンド演奏の入ったテープとか、MDに移してしまいたいんだが。そういったことは、もっと動いてよくなってからにしようと思うが、なにせ早く、3月中に片付けないといけないと気が焦る。今日は早く寝たい。

今日の日記

2002年3月22日
 いろいろなものを更新すると言いながら、それから止まったままだ。理由は今やってることにハマってるから。そろそろ完成するので、お披露目の日も近い。
 さて、今日はとある友達と長電話をした。とても長い電話だった。で、いろんなことを話したが、いつのまにか自分が話していた内容を考えると、なんだか自分が情けなくなった。つまり、自分が一番大切だと思っていたことは、
実は全く成し遂げられていなく、自分が最も嫌だと思う人物とほぼかわりない自分がいて、今までの時間、自分がどう存在していたか分からなくなってしまった。嫌だと思うことは、みんな自分の中にあった。
 今の自分は行動に出せない。監禁されたような日々。もっと悩もう。この怪我が治ったら、どういう生活が待っているのか不安に思うが、
とにかく早く治って欲しい。

今日の日記

2002年3月21日
 母親が占いに行ってきたらしい。場所はダイエーの最上階、飲食店があるところの端っこ。
このおっちゃん、実は探し物を見つけるので有名で、鍵がなくなった時に、知り合いに、この占いに行くようアドバイスされていた。
でもその時は、結局行かなかった。
 母親は、ボクのことをいろいろ聞いてきてくれたらしい。驚いた。そんなに当るものなのか!一番驚いたのは、「この人、カルシウム足りてないんじゃない?」と言われたとか。
そこまで分かるのか!結婚の時期から、今年の過ごし方から、いろいろ聞いたようで、帰ってきてから懇々と話し合うことになってしまった。
 今度、自分で行ってみようと思う。占いなんて信用してなかったが、
今はここに行きたいと思う。頑張らなくては。

今日の日記

2002年3月20日
 本当に久しぶりに、家族4人で夕飯を食べた。 これも怪我の恩恵か?逆に、いかに自分が普段家で食事してないか実感してしまった。
 今日はジブリ映画を何本か見て、オタク合戦になってしまった。 「ラピュタ」の最後の方でバズーがラピュタの裏の部分を移動するのは、 物理的におかしいとかって話になって。意外と登場人物の名前が分からないのが「魔女の宅急便」。 ジジを助けてくれる年寄りセントバーナードはジェフだった。 じゃあ、絵書きのお姉さんの名前は?気になったみなさん、ぜひもう一度見直していただきたい。 しかし、ジブリモノはマニアが多い気がする。 「となりのトトロ」の主人公一家は日下部さんだったって、知ってることなのか? 今からもう一度見てみよっかな?

今日の日記

2002年3月19日
 nanakoがお見舞いに手作りケーキを持ってきてくれた。 ガトーショコラだった。かなり美味しかった。 しかし、nanakoがくまっとくまさんよりおにぎりが上手いことは知っていたが、 ケーキを焼くとは知らなかった。正直驚いた。 ちっひーは食べるのが好きだから、自分で焼くのもうなづける。 でも、nanakoがケーキを食べてるところすら、あまりイメージできなかったり。 こう言うと、nanakoはかなり怒っていた。
 で、何が言いたかったかというと、改めてnanakoに感心してしまったということだ。 意外な特技を持つ人ってすごい! しかし、本人にとってはそんなのは意外なモノにも、特技にも入らないのだ。 そこがさらにかっこいいではないか。で、自分には何があるかと考えた。 人をアッと言わせるもの、人に喜んでもらえるもの…。 まったく思い付かず。何しろ自分にとっては凄くないことを探すのだ。 自分で見つけられないわけだ…と思い込み、自分を慰め…。 どなたか、ボクの意外な特技って何か教えて下さらないだろうか?

今日の日記

2002年3月18日
 腎臓の検査に近所の県立病院に行った。ところが、そこには泌尿器科がなかった。
結局、整形外科にかかってるのと同じ病院に行った。
検査の結果は何もなし。血尿も「あんまり」出てないらしい。
妊婦さんがよくするエコー検査もしたが、出血のあとも見えないらしい。
ただし、エコーではよく分からないと付け加えられた。じゃあ、だめじゃん。
結論は、もし転倒時に腎臓から血が出てたとしても、今出てないとすれば、
後は放っておくしかないということで、薬もなし。再来の必要もなし。
とりあえず安心した。
 夜、母親と妹が買い物から帰ってきた。なぜか、子供用歯磨きを買ってきた。
「歯垢が赤くなる!イチゴ味。」何を考えているのやら。
説明書きには、「唇や舌が染まって、数時間とれませんので、
夜寝る前の使用をお勧めします。」とある。外出の予定は全くなかったが、
早速夜に妹と二人で試すことにした。日記の写真が撮れる〜とウキウキだった。
が、思いのほか染まらなかった。確かに歯垢は赤くなったが…うがいで歯垢がとれるのか?
舌は赤くなった。かき氷状態だ。あまりにしょうもなかったので、写真はやめた。
でも、やっぱり母親と妹は何を考えていたのか?大人用ならもう少しちゃんと使えたろうに。

今日の日記

2002年3月17日
 昨日に続き、今日はバイト明けの奈々子がお見舞いに来てくれた。
今のボクは、ちっひーと奈々子なしでは生きて行けないな。
奈々子とはなんだかンだと話をしただけで、そのうち、買い物に出ていた母親と妹が帰宅した。
その後、なぜかちびまるこちゃんとサザエさんを一緒に見て、奈々子は帰っていった。
 そんな奈々子がくれたお土産が、写真のガムマシーン。
暇つぶしにって言うけれど、いつまでもガム出すんかーい!?と思いつつ、
いつまでもガムを出しては戻して…。ハマってる。恐るべし、奈々子。恐るべし、ガムマシーン。
いくつかのラジオやテレビ番組のように、今後、トークの内容に困った時とかに使えるかも。
なんて考えながら。やっぱりお見舞いは嬉しい。
モノをくれたからじゃないからね。一応念のため。

今日の日記

2002年3月15日
やっとPCの前に座る時間ができた。というか、暇すぎて座らなきゃと言うか…。
体も、座れるほど楽になった。
ということで、なんで今ボクがこういう状況なのか、逆にたどってみる形で日記を書いてみた。

今日の日記

2002年3月14日
 昨日は時間的に行けなかったので、今日は朝から病院に行った。
うちの近所では整形外科と言えば関西労災病院。かなり待って、めちゃくちゃ待って、診察してもらった。
一応レントゲンを撮って、結局、骨の診察結果は前と同じ。
右の図の赤いところ3本が、ポッキリ折れていた。
大忙しのこの病院では、1日で腎臓まで見てもらうのは無理だったので、
後日改めて泌尿器科に行くことにして、帰った。まあ、尿も出るし、たぶん腎臓は大丈夫だし。
帰りに、母親と回転寿司に行った。昼過ぎの店はがらがらで、
ひさしぶりの握り寿司は、回転とはいえ嬉しかった。
こんな体で、寿司が食べられるなんて幸せだと思った。
それから家に帰って、またも寝た。この頃には、痛みはだいぶ楽になっていた。
座っているのも苦痛じゃなくなった。我ながら驚くべき回復だった。
親曰く、医者が軽く「大丈夫!」って言ってくれたから安心したらしい。
ボク自身は、いろいろできるようになるのが確認できて、どんどん元気になっていった。
そしてこの日も、あとは結局寝たまま過ごした。

今日の日記

2002年3月13日
 1日明けて朝が来たら、寝相のせいか、朝は傷が痛むのか、どうしても痛かった。
その痛みの中、また寝たままで朝食を食べた。今度はベッドの上に置いてくれた。
食事を終えると、店長が来てくれた。曰く、自宅付近での入院先が確保できなければ、
退院は許可できないと言う。その話は昨日すでに聞いていた。…最初は帰れっていってたのに。
自宅でも、朝から母親が病院を探すと言ってくれていた。が、なぜかうちの店長が、
すべて任せて下さい!と言ったらしく、母親も待ち状態になっていた。
たぶん店の上司の命令だろうが、こっちとしては、なんとも不安だった。
店長と病院と母親の電話と、それぞれがバラバラに情報をくれた。
ボクはどんどん不安になっていった。で、最後に「もういいから来て!」と母親に電話した時、
店長がベッドの側に来て「オレ、頑張った。」と言った。
説明は良く分からなかったが、病院を説得して、帰れるようにしてくれたらしい。
そこから、看護婦さん達はみんな怒っていた。いったいどんな話があったのかは謎。
しかし、病院もなんだかおかしかったし、とにかく帰れるということでホッとした。<br>
 昼食を食べ終わった頃に、みんなが迎えに来てくれた。それで、
またストレッチャーで車まで移動し、今度は車に寝かされた。
ここで、久しぶりに煙草を吸った。普段も家はで吸わないボクは、
どうあれ当分吸えないと思っていた。ゆっくり別れを惜しむつもりが、
寝たままだと吸いにくくて、2本吸って断念した。
少し走って高速に入ってしばらくして、サービスエリアで一度車を降りた。
1日振りに足で歩く。痛いけど、無理すれば歩けないことはなかった。
むしろ、歩いてトイレに行きたかったのだ。口が気持ち悪かったので、
店長にソフトクリームを買ってもらった。車での移動は、驚くほど早かった。
来る時に自分が運転した時は、もっと長いと思ったのに!
 そんなこんなで、自宅に着いた。窓からかすかに見える空の景色が、見覚えのあるものになり、
自宅前では母親と妹が迎えに来てくれた。なんたる安心か。そのままみんなに礼を言い、
自宅まで歩き、自分の布団に寝た。この日はそのまま寝ておいて、夕飯だけ起きて座って食べた。
なんとも食べやすかった。この時点で、まだ歩いたり、寝たり起きたりは痛かったが、
座ってるだけなら、痛くはなかった。ただ、この時はまだ座るだけで、机に近付けなかったが。
この日は、そのまま自分の布団で寝て終わった。しかし、自分の布団は幸せだった。

今日の日記

2002年3月12日
 ということで、閉店後に集合して岐阜へと出発した。
参加者はボクや店長を含む男5人。岐阜までの運転はボクが一手に担った。
そのためにかえって寝させてもらったからだ。
運転自体、全くしんどいことはなかった。
そして、何の問題もなくスキー場に着いた。
 店長はスキーがめちゃくちゃ下手っぴだった。
他のメンバーはスキー2人、ボード2人。すぐに店長をほったらかして4人で滑りだした。
いろいろまわった末、最上部付近にあるワンメイクのパークに来た。
ボードの人がいっぱい飛び跳ねていた。
うちのメンバーはみんな初級に毛の生えたレベルだったので、飛ぼうと言いつつ尻込みしていた。
この前の赤倉で何度か飛んで、味をしめていたボクは、一番にジャンプ台へと突っ込んだ。
 ジャンプ台は、思いのほか深く、スピードも思いのほか早く、
おかげで空中で完全に仰向けに寝てしまった。これはヤバいとわたわたしたら、
横向きに左脇腹から落ちた。たぶん高さは、家の2階から落ちるぐらい。
ジャンプの間、走馬灯を見る間もなかった。着地の瞬間、激痛が走って体中がしびれた。
すぐにバイトの仲間が来てくれた。外れたスキーとストックをコースの横へ移動し、
早くこっちに来いと言う。その時点で、まだジャンプ台の下からピクリとも動けずにいた。
左手と左足がしびれる。麻痺がヤバいかなと思ったけれど、無理したら立てた。
そのまま、ゆっくりコース外へ移動した。コース横の雪の小山が、気持ち良かったので、
そこで寝転んだまま、回復を待つことにした。
ボードの2人はすでに先に滑っていて、スキーの1人が一緒にいてくれたが、
大丈夫だからと先に行ってもらった。それから日光よけに荷物を顔の上に置いて、
かなりの時間横になっていた。たぶん30分くらいかそれ以上。
すると、とある人が声をかけてくれた。コケたのを見ていたが、再び戻ってくるとまだ寝てるので、
心配してくれたらしい。声は出せるし、ヤバかったらレスキューを頼むからと伝えて、
もう少しその場で寝転んでいた。しかし、我ながらこれ以上回復しそうになかったので、
思いきって下山にチャレンジした。スキーまで移動して履くのに、やたらと時間がかかった。
とにかく腰が痛い!しかし、レスキューに助けられるのも嫌だった。
どう動かされても痛そうだから、自分のペースで下りたかったのだ。
はじめは右足で、横滑りで下りた。でも、遅すぎて自分でイライラ。
思いきってボーゲンに切り替えた。左を打ったので左荷重が痛いかと思いきや、
全く痛くない。それより、右荷重で左をあげる方がめちゃくちゃ痛かった。
ということで、極力右向きに、なんとか最下部のレストハウスまで滑り降りた。
今思えば、良く滑ったなと思う。言うなれば、火事場のくそヂカラだった。
 レストハウスに着いて、必死でスキーを脱ぎ、それを置き、階段を登って、
入り口に近い椅子に倒れ込んだ。そこから全く動けなくなった。
で、そこで店長に電話。みんなと合流し、まずはじめに靴を脱がせてもらった。
靴だけは、いくら頑張っても脱げなかったのだ。
そこから、呑気に昼食をとることにした。お任せで買ってきてもらったのはミートスパゲティー。
なぜかそれはぺろっと完食し、それから病院に向かった。
この時点では、椅子に座るのも、立つのも痛かった。
 ホテルで紹介してもらった病院は、意外に大きなところだった。
外来で受付をし、待つ間にたまたまあった畳の間で横になったら、起きられなくなった。
看護婦さんに起こしてもらって、とにかくレントゲンを撮った。現像待ちの間、
待ち合い室で座っていたら、看護婦さんがストレッチャーを持ってきてくれた。
患者を寝たまま手術室とかに運ぶやつだ。で、寝たまま診察を受けた。
診察してくれたのは外科の先生だった。血尿が出てて、恐いからとCTも撮って、
結局そこでの診断は横突起三本骨折だった。あとは帰って大阪で見てもらえと言う。
いや、今日は泊りなので、帰るなら電車だと伝えた。すると、それはさすがに無理だからと、
入院を提案された。せっかく遊びに来ているみんなに、気を遣わせるのもどうかと思い、
入院することにした。ストレッチャーのまま、大部屋のベッドへと移動し、そこに寝かされた。
 それからの視界は、天井と、そこから垂れたカーテンと、蛍光灯のみ。
横にあるテレビは1000円のテレビカードを挿さないと映らないらしい。
悩まずに断った。周りのベッドではそれを見ているらしく、「さんま御殿」の音だけ聞こえていた。
ニュースもちらほら。どうせ横向きもしんどいし、ラジオ状態をタダで楽しんだ。
そのとき、17歳少女監禁事件を知った。しばらくすると、夕食が運ばれてきた。
そして、ベッド横の棚に置かれた。…でも手が届かない。その時点で、動かなければ痛みはないが、
起きあがることはできなかったボクは、食事を諦めてしばらく睡眠をとった。
別に食べたくもなかったからだ。すると、やっと看護婦さんが食器の回収に来てくれた。
「あれ?食べないの?」「届かないんです。」そこから、やっと食事にありつけた。
しかし、寝たままの食事は上手くのどを通らず、水も薬も飲みにくかった。
まあ、生まれて初めての入院だったので、いろんなことが新鮮で楽しかった。
ただ問題は、絶対安静扱いでトイレにも行けず、溲瓶とおむつを渡され、
おかげで便意は湧かず、しかし一方で、寝たままの食事でお腹にはガスが溜まり…。
夜にはそっちのほうが、怪我より痛くなっていた。そうこうして21時に消灯。
いつの間にか眠りについていた。

今日の日記

2002年3月11日
 うちのバイト先は、クリスマスと年末年始に頑張ると、
岐阜県ダイナランドの一日リフト券とホテル一泊がボーナスとしてもらえる。
で、ボクも含め、うちの店のメンバーにもその権利がまわってきたのだが、
その日程に関して、以前からもめていた。
当初は18・19日だったのにいつのまにか11・12日になっていた。
いろいろ悩んで、結局バイトの友達に、ボクは不参加にしたいと伝えていた。
あざみ明けでその日程は、体力的に無理だと考えたのだ。
そしたら、あざみの頃に電話で、12・13日にしたという。
提出しているシフト上、この日程ならいけるじゃないかと言う。
そんなバカな。人のスケジュール勝手に決めんな、とボクは憤慨した。
電話は、そこで終わっていた。<br>
 怒濤の日々も過ぎて、やっと普通の日だった。
普通にバイトを入れていた。16時に行ってみると、今日夜発のスキーツアーの参加者に入っていた。
良く考えると、ボクは店長に対して一度も正式に不参加を伝えてなかった。
毎度流されていたのもあるが、今回もうだうだ言う店長にムカついて、
参加することにした。遊びのことでもめるのは嫌だったからだ。
今思うと、そんな気持ちで参加したからいけなかったのかも。
この日はラストまでだったが、急遽21時以降を代わってもらって、家で少し睡眠をとった。
そんなこんなで、スキーに行くことになったのだ。

今日の日記

2002年3月10日
 スキーで新潟から大阪に帰ってきたのが、9日の早朝。
そのまま一回帰って、その足で今度は滋賀県栗東のあざみもみじ寮へと旅立った。
3月10日にひな祭りの寮生劇があるから、それを手伝いに行くことになっていたからだ。
 あざみもみじ寮とは、ボクにとってはユニバーサルスタジオよりもすごくて刺激的な、
一種の楽園で、具体的には知的障害者が暮らす寮である。この前1回お手伝いに行って、
今回は2回目だった。寮生のみんなはあまり覚えてくれていなかったが、
まあ、自然と受け入れてくれた気がする。
 現場ではP劇団のせぐりんさんが音響でついておられたが、カラオケやSEの製作と編集で、
どうにもいっぱいいっぱいだった。ボクはとりあえず、
寅さんの歌をはじめ数曲のカラオケ作りを担った。が、これが悪戦苦闘。耳コピーは全く苦手なのだ。
どんどん時間に終われ、うたた寝しながら、朝になってやっと、一応の仕事は片付いた。
疲労困憊で少し睡眠をとっていたせぐりんさんも、仕事をあげていた。
正直、いつの間に…と思った。
 そんなこんなで、慌ただしく劇はスタート。せぐりんさんから言われてたことは…
ほとんどできなかった。毎度ながら、あざみの音響では反省多々。あげく、カラオケも間違ってた…。
寮生さん、他のみなさん、ごめんなさい。せぐりんさん、ごめんなさい。
 オペ席の後ろのベッドでは、疲れきった1名が熱を出して寝込んでいた。
そろそろ無理がたたってきてるなあ、と思ってたのだ。
まあ、そんなこんなで、怒濤のようにあざみの劇も終わっていったのだった。

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