今日の日記
2002年3月10日 スキーで新潟から大阪に帰ってきたのが、9日の早朝。
そのまま一回帰って、その足で今度は滋賀県栗東のあざみもみじ寮へと旅立った。
3月10日にひな祭りの寮生劇があるから、それを手伝いに行くことになっていたからだ。
あざみもみじ寮とは、ボクにとってはユニバーサルスタジオよりもすごくて刺激的な、
一種の楽園で、具体的には知的障害者が暮らす寮である。この前1回お手伝いに行って、
今回は2回目だった。寮生のみんなはあまり覚えてくれていなかったが、
まあ、自然と受け入れてくれた気がする。
現場ではP劇団のせぐりんさんが音響でついておられたが、カラオケやSEの製作と編集で、
どうにもいっぱいいっぱいだった。ボクはとりあえず、
寅さんの歌をはじめ数曲のカラオケ作りを担った。が、これが悪戦苦闘。耳コピーは全く苦手なのだ。
どんどん時間に終われ、うたた寝しながら、朝になってやっと、一応の仕事は片付いた。
疲労困憊で少し睡眠をとっていたせぐりんさんも、仕事をあげていた。
正直、いつの間に…と思った。
そんなこんなで、慌ただしく劇はスタート。せぐりんさんから言われてたことは…
ほとんどできなかった。毎度ながら、あざみの音響では反省多々。あげく、カラオケも間違ってた…。
寮生さん、他のみなさん、ごめんなさい。せぐりんさん、ごめんなさい。
オペ席の後ろのベッドでは、疲れきった1名が熱を出して寝込んでいた。
そろそろ無理がたたってきてるなあ、と思ってたのだ。
まあ、そんなこんなで、怒濤のようにあざみの劇も終わっていったのだった。
そのまま一回帰って、その足で今度は滋賀県栗東のあざみもみじ寮へと旅立った。
3月10日にひな祭りの寮生劇があるから、それを手伝いに行くことになっていたからだ。
あざみもみじ寮とは、ボクにとってはユニバーサルスタジオよりもすごくて刺激的な、
一種の楽園で、具体的には知的障害者が暮らす寮である。この前1回お手伝いに行って、
今回は2回目だった。寮生のみんなはあまり覚えてくれていなかったが、
まあ、自然と受け入れてくれた気がする。
現場ではP劇団のせぐりんさんが音響でついておられたが、カラオケやSEの製作と編集で、
どうにもいっぱいいっぱいだった。ボクはとりあえず、
寅さんの歌をはじめ数曲のカラオケ作りを担った。が、これが悪戦苦闘。耳コピーは全く苦手なのだ。
どんどん時間に終われ、うたた寝しながら、朝になってやっと、一応の仕事は片付いた。
疲労困憊で少し睡眠をとっていたせぐりんさんも、仕事をあげていた。
正直、いつの間に…と思った。
そんなこんなで、慌ただしく劇はスタート。せぐりんさんから言われてたことは…
ほとんどできなかった。毎度ながら、あざみの音響では反省多々。あげく、カラオケも間違ってた…。
寮生さん、他のみなさん、ごめんなさい。せぐりんさん、ごめんなさい。
オペ席の後ろのベッドでは、疲れきった1名が熱を出して寝込んでいた。
そろそろ無理がたたってきてるなあ、と思ってたのだ。
まあ、そんなこんなで、怒濤のようにあざみの劇も終わっていったのだった。
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